インタビュー

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ITアーキテクト 伯井 孝俊

「桶の法則」を人生訓として顧客に向かう

伯井は京都市の出身で、1973年の生まれ。同志社大学の商学部を卒業した後、大手電機メーカーのシステム会社にSEとして入社した。IT社会の広がりに将来を託そうとしたのだが、なにしろプログラミングも初めてのことで、「研修内容についていけず、毎晩泣いていた」という。 挫けそうになった、いや挫けていた伯井を救ったのは、ある先輩の一言だった。 「何も知らない方が成長する。今は焦らなくてもよい。1年後には必ず結果が出る」 先輩はそう言ってくれた。その言葉なければ、あらゆるITに精通した今の伯井はない。

2001年には同社で高速移動体向け通信ネットワークシステムの構築プロジェクトに携わった。翌年には国際的なサッカーの大会が予定されており、訪れる外国人観光客などを対象に、移動中の車両からのインターネットサービスの提供が模索されていたのだ。 「具体的にはFOMA+Wi-Fi、IPv4、IPv6によるインターネット実証実験に取り組みました。この仕事でネットワークそのものや、セキュリティーの監視・運用技術など現在につながるIT技術の全体像を学べたのは大きかったですね」

JSOLの前身である日本総合研究所(2006年に日本総合研究所より分社)へ2003年に入社。当初はアウトソーシングサービス本部に所属してさまざまな企業に常駐してシステム開発や運用を支援してきた。こうした経験が、先に紹介した公共インフラ企業や情報システム子会社でのプロジェクトマネジメントにつながり、経験が花を咲かせるようになる。

このプロジェクトではもう一つ、最大の取引先のサーバー更改プロジェクトに対応できる技術者の派遣という役割もあった。ここでも伯井は、各担当によって異なっていた開発流儀や作法の統一を推し進めた。OSや運用監視ステム、移行システムの実装手順などをガイドライン化して品質の平準化と納期短縮を実現した。

いろいろなものが、きれいな流れを生み始めた。しかし伯井は、気を緩めない。業務の標準化や手順のガイドライン化などの効果は大きいが、「人間だからこそ」の課題が芽生えるからだ。
例えばチームマネジメントでは、発注者から1次、2次、3次と委託者が増えていくと、それに沿うかのように標準化やガイドライン化に対する意識が希薄になってしまう。「標準化、ガイドライン化されているのだから、それに従って作業をするのは当然」と普通は思う。しかし実際は、「標準化されているので、それに沿ってやってください」と言ったきりで終わり、実は十分に理解されないまま作業が進むケースも少なくないのだ。
標準化を根付かせるにはどうしたよいか。そういう次なる課題が発生してくる。"標準化のジレンマ"とでも表現してよいだろう。

「ヒューマン・ロックイン、つまり属人化を脱して標準化する。しかし、それで一丁上がりにしてはならないのです。標準化は本当に実態に即し、実態を改善して効率化をもたらしているのか、作業は楽になっているのか、などについて常に見直しを行い、陳腐化したものは手直しして新しいアイデアを入れる。そうしたライフサイクルを回していけるようにするのが、IT業務のアウトソーシングサービスの神髄ではないのかと思っています」

(2016年03月現在)

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